AIと人の共存
AIって完璧に人にとって代われる存在になり得るって勘違いしてる人が多いと思う。
彼等(と敢えて言ってみる)は確かに学習もするし高確率で「コレは何か?」に対して的確な回答もしてくれる。
将棋でも囲碁でもチェスでも、彼等の存在感は日に日に増しているように感じる。
が、彼等の活躍については1つ制限事項がある。
まんまやけど、ルールだ。
例えば学校教育現場を想像してみる。
学校現場は単に成績を上げる事が目的では無い。生徒や児童の生活態度や顔色を伺い、その時々に応じた対応を必要とされる。
またその子達のバックグラウンドなりその事象に陥った経緯なりを念頭に対応が必要な為、機械学習による対処には限界があると思われる。
即ちルールを与えてその許容(AIに許容もへったくれも無く、彼等にとっては1か0の世界なのだが)範囲内でベストソリューション、アンサーを出すことは得意だが、それを少しでも逸脱するとショートする。もしくは目も当てられない回答を行う。
仮に完璧な回答を生み出すAIを生み出せたとして、それが誕生するまでにどれだけの年月とコストがかかることか。
AIの存在がコスト削減にあるならば、その存在は職業によっては背理にある。矛盾だ。
そんな職業がごまんとある中で、たまに耳にする「AI寡占説」。
私の個人的見解からすると甚だ馬鹿げている説である。
皆がAIに負けないアウトプットを生み出せば良い話であるが、そうした自信の無い人間がきっとAIの存在を恐れているのであろう。
まあ、色々な職業があるので一概には言えないのかもしれないが。。